御詠歌 音楽の 御声なりけり 小鹿坂の 調べにかよう 峰の松風
小鹿坂峠の中腹に位置し、観音堂の前庭からは秩父市街が一望できる。
音楽寺の名の由来は、
秩父札所を開創した十三人権者がこの山の松風の音をきいた時、
菩薩の奏でる音楽と感じたからと言われている。
音楽を志す人たちが訪れ、願いをかける姿を目にすることも多い。
境内には桜の木が多く、春は花見でにぎわい、秋は紅葉が楽しめる。
堂前の梵鐘は、明和5年(1768年)に鋳造されたもので
高さ120cm、108個の乳頭、六観音像が浮彫りされており、
高く美しい音を奏でる。

秩父困民党の決起と音楽寺の梵鐘
明治17年(1884年)11月1日、旧吉田村の椋神社(現在の秩父市下吉田内)に集まった農民3000余名が
武装蜂起し、
翌2日には小鹿坂峠を越えて音楽寺境内に集結、梵鐘を乱打し大宮郷(現秩父市内)へ乱入した。
世にいう秩父事件である。
境内の鐘楼脇には困民党決起100年を記念して、
昭和53年11月2日に「秩父困民党無名戦士の墓」が建てられた。
碑には「われら秩父困民党、暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」
と刻されている。
枝垂桜・ツツジ・紅葉
秩父の桜の名所の一つであり、又春にはツツジ、秋には紅葉が楽しめる。
荒川左岸の中腹に位置し、武甲山の下に広がる秩父市街を一望できる。