御詠歌  極楽を ここに見つけて 童う堂 後の世までも たのもしきかな

静かな田舎道を行くと茅葺きの仁王門が現れる。
左右の仁王像は大きな目を見開いている。
可愛いというか、ひょうきんな童子のような表情には思わず微笑んでしまう。
観音堂は、江戸中期の華麗な建築で、
正面の唐戸には風神雷神、迦陵頻伽(かりょうびんが)の浮彫りを見ることが出来る。

童子堂の由来

このお堂は旧蒔田村・清水谷の山奥に草創されたと伝えれれている。
昔、子どもたちの間に疱疽(天然痘)が流行したおり、
観音様を祀って祈念し、岩間より生ずる清水をつけてたところ病がたちどころに消え失せた。
延喜年間(901~922年)に府坂の地に移され、
以来子どもを病魔から救う観音として童子堂と呼ばれるようになった。
なお、現在の観音堂は元禄15年(1702年)に府坂の地に再建され、
明治43年(1910年)に現在地に再度移築されたものである。

永福寺

明治43年(1910年)に現在地に移された際に、童子堂は栄福寺(現在の永福寺)管理となった。
現在は童子堂の隣の建物を永福寺と称している。
童子堂の入り口の地蔵尊から県道を隔てた反対側に栄福寺があったといわれるが、
現在は「虚空蔵菩薩」の碑が残るのみである。