御詠歌 ただたのめ 六則ともに 大悲をば 神門にたちて たすけたまへる
天保年間(1830~1844年)に再建された観音堂の前に立つと、
その物静かな佇まいには時代の雰囲気が漂っている。
観音堂正面の虹梁には、森玄黄斎(秩父出身の彫刻師)の手による
御詠歌の扁額(元治元年 1864年)が掲げられている。
国道140号線に面し、車の場合、交通量が多く速度が出てしまうので、
通り過ぎてしまわないように注意をしたい。

観音堂
現在の観音堂は、天保年間(1830~1843年)に秩父地方で名匠とうたわれた藤田若狭の手によるもの。
正面の破風が、秩父夜祭で曳き回される当地「宮地」の山車(屋台)に似ているのは、
山車の棟梁と藤田若狭が血縁関係にあったためではないかといわれている。
裏観音
観音堂の回廊の裏は数段下がっており、ご本尊の下をくぐることができる。
そこにはご本尊につながれたお手綱が垂れ下がっており、
12年に一度の午年総開帳以外でもご本尊と握手をすることができる。