御詠歌  春や夏 冬もさかりの 菊水寺 秋のながめに おくる歳月

赤平川に沿った田んぼの間の道を行くと道端に石標があり、そこから参道がのびている。
参道をすすむと「正大悲閣」の額を掲げた入母屋造りの本堂が見えてくる。
かつては、現在の地より少し離れたところに境内があり、
庭に「菊水の井」という名井があったことから寺名になったという。
本尊の聖観世音は、一木造りの立像で藤原時代の作。
別に本尊を模した聖観世音の立像があり、室町時代の作といわれる。

子がえしと孝行和讃の大きな絵図

本堂の土間には、『子がえし』と『孝行和讃』の絵図が掲げられている。
『子がえしの絵図』は、江戸時代の頃盛んであった間引きを諌めたもので、
わが子を圧殺する女の絵が描かれている。
「それにんげんと生れては、まづ孝行のみちをしれ」ではじまる『孝行和讃』は、
「民間童蒙」の名の通り、
お寺で読み書きを教えた時に教科書の役割を果たしたもので「親孝行いろは歌留多」ではないか、
とご住職が説明されている。

長福寺と菊水寺

参道の入り口の寺標には正面には「大桜山長福寺」、側面には「延命山菊水寺」と彫られている。
かつて小坂下と呼ばれた地にあった菊水寺を、別当として管理していたのが長福寺であった。
永禄十二年(1569年)の信玄焼きによって菊水寺が灰燼に帰したため、
本尊が長福寺に移されたといわれている。